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最終更新 2002/5/5
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●1959年/昭和34年 朝日新聞 /3月分〜6月分

スチュワーデス殺人事件

●当時の新聞画像はこちらから!
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1959年3月11日
1959年3月12日
1959年3月12日夕
1959年3月13日
1959年3月17日
1959年3月29日
1959年5月7日
1959年5月12日
1959年5月24日
1959年5月26日
1959年6月12日
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1959/3月11日■

スチュワーデス怪死

善福寺川で
他殺と見て捜査

十日朝七時四十分ころ杉並区大宮町千一六五九さきの善福寺川に 浮いていた死体があり、東京高井戸署で調べたところ 世田谷区松原町四ノ三八四上保方BOAC(英国海外航空) スチュワーデス武川知子さん(二七)と分かったが、 死因に疑いを持ち、十一日、慶大法医学教室で司法解剖した結果、 他殺の疑いが濃いので、同署は警視庁捜査一課の協力を得て、 捜査に乗出した。

慶大法医学教室船尾忠孝講師の執刀で行なわれた解剖の結果では、 死んだのは十日午前五時ごろと推定され、死因は水死か、首を圧迫 されて窒息死したかのどちらかであることがわかった。

とくに船尾講師は首の中に出血が認められたところから、 他殺によるものではないかといっている。

同署がこれまで調べたところによると、武川さんは去る一月五日 BOACに採用され、上保さん方に下宿していたが、今月八日に 「教会とおじさんのところへ行ってくる」と下宿を出てどちらにへ も行かず、また会社にも出勤せず、行方が知れなかった。

武川さんの死体は、見たところ外傷はなく、時計やハンドバッグなど 所持品も全部死体の付近からそのままみつかった。 乱暴されたあともない。

しかし、武川さんのこれまでの身辺の捜査で、武川さんが自殺する ような動機が全く分からないので、死因に不審な点があるとして 同署の調べがはじまったもの。

なお武川さんのハンドバッグの中に船酔いどめの薬十五錠入りの 空ビンが入っていた。
武川さんは兵庫県西宮市浜甲子園武川はるさんの次女で、 同市聖心女学院を卒業後上京、新宿区下落合の聖母病院看護養成所 を二十八年卒業、神戸市にいったん帰って病院で看護婦をしていたが 三十二年春ふたたび上京、中野区鷺宮の乳児院オデリヤホームで 保健婦をしていた。

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1959/3月12日■

スチュワーデスは殺された

深夜に、はだしの女
現場近くで目撃者

東京都杉並区大宮町一六五九先の善福寺川で発見された BOAC(英国海外航空)スチュワーデス武川知子さん(二七) の怪死体事件は十一日の調べから他殺説がいよいよ強くなった。

警視庁捜査一課と高井戸署は十二日から殺人事件としての 捜査を行なうといっており、確証が得られ次第、高井戸署に 特別捜査本部を設けて本格的追求に入ることになった。

タクシーも付近に

当局の調べでは、知子さんは去る八日午後四時ごろ 「おじさんの誕生日のパーティに行く」と下宿先の世田谷区 松原町四ノ三八四上保さん方を出たきり、消息を絶ったもので、 その後の同女の足取りは全くつかめていない。

ダークグリーンのスーツにグリーンのオーバーを着て短グツを はき、ハンドバッグを持って出かけたというが、死体となって 見つかった時はオーバーとクツだけが見当たらなかった。

当局が他殺とみている点は

1知子さんに自殺をしなければならぬ理由が全くない
2死体解剖の結果から首の皮下出血と眼底イッ血が認められた
3知子さんは発見現場付近の地理にくわしいとは思われず、 時間的にも現場にいたことが不自然なことだ、などで 自殺ということはほとんどあり得ないとしている。

知子さんが、はめていた腕時計の針が川の水のため十一時五十分を 指して止まっているところから当局では知子さんが九日の夜、 時計が止まった寸前に死んだものとみており、そのころ 「知子さんらしい女を見た」という目撃者もいることがわかった。

この人は現場近くの×××に勤める××××さん(二九)で、 九日夜十一時半ごろそれらしい女と出会った。
女は大宮八幡の方から宮下橋を渡って小走りに急ぎ足でやってきた。 寒いのにオーバーを着ていなかったので気にしてみるとクツも はいていなかったようだった。 そのまま、声をあげるでもなく松ノ木町方向へ行ってしまったと いう。

また、同夜十一時すぎ、現場付近にタクシーがとまっていたのを 付近の人が見た。 車の中をのぞいら運転手らしい男がいただけだったというが、 この証言は、それ以上には分かっていない。

いずれにしても

1知子さんが八日の晩、どこに泊まったか
2着て出たオーバーやクツはどうしたのか、

の二つが大きなナゾとなったわけだが、×××さんの証言を裏付ける ように知子さんがはいていたストッキングの底は、 ハダシで道を歩いたようによごれて破れていた。

知子さんは一昨年春から保健婦として勤めていた 中野区鷺宮オデリヤホームをやめ、初の日本人スチュワーデス としてBOACに入社、去る一月十日講習のためロンドンの本社へ 行き先月二十七日に帰国したばかり。

今月中には香港航路の飛行機に乗る予定だった。 気だてのおとなしい、だれにも好かれるタイプで、聖母病院に いたころは外人の患者と退院後も交際する機会があったといわれ、 ボーイフレンドもあった様子だが、うわついたウワサは耳にした ことはないと関係者はいっている。

当局は知子さんのしていた時計から死亡推定時刻を九日夜十一時すぎ と推定しており、八、九両日の行動がわからない点から、ごく親しい 男友達などに連れ回されたあげくに殺されたのではないかとみている。

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1959/3月12日夕■

「不審なアベック」

スチュワーデスの怪死
また目撃者現わる

東京都杉並区の善福寺川で起こった英国海外航空スチュワーデス怪死 事件について警視庁捜査一課と高井戸署は、被害者の武川知子さん(二七) の八日午後からの足どりを全力をあげて追っているが、 十二日朝現場近くに住む郵便局員から「十日朝四時ごろ、死体が発見 された現場の近くに自家用乗用車が停まって、なかに男女がいたのを 見た」という届出があった。

解剖の結果から推定される死亡時刻の十日午前五時と、車を目撃した 時間が近いので、この届出で知子さんは現場近くまで知人と車で やってきたのではないかとの見方もとり、車の持ち主を調べている。

車の止まっていた場所は、現場から三百メートルほどの大宮八幡の 鳥居付近の暗がりで、タクシーなどがよく休憩している場所。

高井戸署ではこの朝宮下橋のたもとに、立札をたて

1オーバーを着ない女を見た人
2行動の不審なアベックを見た人
3グリーンの女物オーバーを持っているいるのを見つけた人などに、 捜査の協力を求める呼びかけをした。

また警視庁鑑識課は、死体のあった付近の川底や土手のドロを 採取するなど精密な検証を行なった。


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1959/3月13日■

スチュワーデスは絞殺

足どり、ナゾのまま
捜査本部
交友関係を洗う

東京杉並区の英国海外航空(BOAC)スチュワーデス武川知子さん(二七) の怪死事件を調べていた東京高井戸署と警視庁捜査一課は解剖の 結果をきめ手として、知子さんが首を絞められて殺されたものと 認定、十二日夕、高井戸署に殺人捜査本部をおいた。

本部では知子さんの親類、学校友達、職場関係、男女の友達などに ついて調べているが、八日午後からあとの足どりは依然つかめない。 オーバーとクツの行方も分からない。

これらの状況から本部では

1八日、九日の二日間は”意外な人物”といっしょにいた
2自動車などで無理に連れ去られていった、

などの見方をとり、知子さんの秘められた交友関係について さらに調べる方針を立てた。


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1959/3月17日■

捜査足ぶみのスチュワーデス殺し

東京杉並の英国海外航空スチュワーデス武川知子さん(二七)殺し 事件は、警視庁が高井戸署に特別捜査本部をおいて追求を続けているが、 死体が発見されてから一週間もたつのに、まだ有力な手がかりがない。
知子さんが去る八日「叔父の家に行く」と下宿先の世田谷区松原町 四ノ三八四上保さん方を出たきり、十日朝死体となって見つかるまでの 間の、同女の足取りがまったくわからないからだ。
本部ではこの間、行動をともにしていた者が犯人らしいと見ているが、 知子さんが八日夜犯人とどこかに泊まったはずなのにそれがわからない こと、知子さんが一人で現場に行くはずがないので、その男に連れ出され たと見ているが、現場付近の目撃者もいない、など、ナゾは多い。
そこでこの近来の怪事件を推理作家や、テレビのナゾ解き番組で活躍 している”町の名探偵”にきいてみた。

私はこう推理する



犯人は外人
愛欲のもつれから

推理作家 松本清張氏

殺されたスチュワーデスは親せきに行くといって家を出たのだが、 はじめから行くつもりがなかったとは思えない。 おそらく親せきに行く途中で顔みしりの男に会うとか、または ふっと気が変わって男友達の一人を訪ねる気になったのではないか。 ところが男の方はなかなか彼女を離さずあちこち引張りまわしたの だろう。

ともかく犯行のもようからみて犯人は自家用車を持っている。 経済的にもゆたかな男ではなかろうか。 男友達はたくさんあったというが、どうもスチュワーデスになって からの友達が犯人ではないかと思える。

そして彼女の職業がら日本人ではなく、外人ではないかとも考えられる。 外人も中華料理を食べるし、また外人ならこっそり彼女を連れて泊まる ことのできる知人宅などもたくさんあるわけだ。 いずれにしろ犯行の動機は愛欲のもつれだろう。



ふられた男
犯行は発見の現場

推理作家 ○村劉

男は若くはない。 女にふられた恨みからだというのが私のカンだ。 胃のなかにあった中華料理がわりと高級だった点から犯人は金持で、 彼女が看護婦時代からの友達ではなく、スチュワーデスになってからの つき合いだと思える。 犯行現場だが、よそで殺して死体を運んだ場合、タクシーなら届出が あるだろう。 自家用車、ドライブクラブの車も考えられるが、発見現場で殺したとも いえる。どうも私は発見場所が犯行現場のような気がする。 これもカンだが、殺し方からみて外人ではなさそうだ。



最近の友達
土地カンのある男

テレビ番組「私だけが知っている」の探偵○○氏

まず、この事件は痴情関係と断定する。 いろいろの新聞を読んでみると男友達がかなりあった よだ。これを以前の看護婦時代と現在のスチュワーデスに なってからと分けてみると、当然、スチュワーデスになって からの男友達が犯人とみてよいだろう。
犯人は運転のできるもの。 自家用車を持っている。 あるいは、デイトするためドライブクラブから車を借りてきた ものだ。現場は、非常にややっこしいところなので土地カンの あるものの犯行とみてよい。 無理に結論を出すとすれば三角関係のもつれからシットして 殺したものとみている。


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1959/3月29日■

「モンタージュ」できる


殺されたスチュワーデス

先月十日、東京杉並の善福寺川で発見された英国海外航空(BOAC) スチュワーデス武川知子さん(二七)殺し事件を追及中の高井戸署 捜査本部では、知子さんのモンタージュ写真を作った。 知子さんが下宿先を出た八日午後から死体となって見つかった 十日朝までの足どりは、まだつかめていないが、知子さんが男と 一緒に行動していたことは間違いなく、目撃者の証言さえ得られたら 事件は急転解決すると同本部では一般の協力を求めている。

このモンタージュ写真は、知子さんの顔、知子さんによく似た 体つきの女性がオーバーを着た胴、多数の女性の写真の中から 選んだ足を組み合わせたもの。

ダークグリーンのオーバーをはじめマフラー、カサ、ハンドバッグ などは全部遺品を使い、友人も驚いたほど知子さんの感じが 出ている写真だという。

知子さんはこの姿で、八日午後三時ごろ下宿先の世田谷区松原町 上保さん方を「おじさんの誕生日のパーティに行く」といって 出たままだった。

捜査本部は1現場を通った者が前日は死体を見ていない 2首を絞めたあとがあり、いくらか水を飲んでいる 3自殺の動機は全くないことなどから、ごく親しい関係の間柄の 者に殺されたものとみている


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■1959/5月6日■

ベルギー人神父に出頭求む


重要参考人として
”教会内でなら”と断る

去る三月十日、東京都杉並区大宮町の善福寺川で、 英国海外航空(BOAC)スチュワーデス武川知子さん(二七) 世田谷区松原町三八四上保方=が他殺体となって発見された 事件を追及中の高井戸捜査本部は、これまでの調べから 杉並区八成町九○、ドン・ボスコ修道院のベルギー人、 ルイス・パーマーシュ神父(三八)が事件に関係があるのでは ないかとして五日、同神父から事情をきくため本部員が修道院を 訪ねて任意同行を求めた。

しかし、同神父および教会側は「教会内でならかまわないが、 警察に行って事情を聞かれるのは困る」と、当局の要求を ことわったため、この日は事情を聞くことができなかった。

本部は事件直後から同神父が知子さんと親交のあった人物の一人 だとして関心をもっていたもので、事件解決のため今後も引き続き 出頭を求め、これまでの捜査で残された最後の重要参考人として 事情を聞かなければならない、といっている。

捜査本部の調べでは、同神父はドン・ボスコ修道院にいて同院の 事業の一つである国電四ッ谷駅前のドン・ボスコ出版社との 連絡を受持ち、同出版社の会計係をやっていた。 知子さんが中野区鷺宮の乳児院オデリアホームに勤めていた昨年 夏ごろ、カソリック関係の書物を出版社で捜してやったことから 同神父と知子さんは知り合いとなりそれからは神父がオデリアホーム を訪れることもあって親密な交際が続いていたという。

本部は事件発生直後、自室にあった知子さんの手帳に同神父の名が 書いてあった事実をつかみ、知子さんに近い人物の一人として 一応本人から事情をきいたりしたが、事件との直接の関係については アリバイを主張、同神父と親しい修道院関係者もこれに同調している。
このアリバイというのは、知子さんが姿を消した八日午後は、同神父 は同僚といっしょに都下調布市のサレジオ神学校の儀式に出席して 夜八時過ぎ修道院に帰り、九時過ぎに寝た。 九日も同神学校に行って一日を過ごし、夜は修道院に帰っていたと いうものである。

教会関係の親しい人たちは、これに間違いないと証言しているが、 一部の関係者の証言には多少の食い違いもあるので、同本部は 同神父身辺調査を徹底的に行なった。

その結果、1同神父は、信者の女性数人と親しくしているが、知子 さんとも親しい間柄だった。2知子さんがロンドン滞在中 「小遣いかせぎになる」といって、知子さんに日本の郵便切手を 多量に送ってやっていた。 3修道院のルノーに乗ったり、外出することなども出来る立場に ある。などということがわかり、スチュワーデス殺し事件に 何らかの関係があるのではないかとみられ、この事件を解決するため に事情を聞く必要が出てきたという。

知子さんは三月八日午後三時ごろ「おじさんの誕生日のパーティへ 行く」と行って下宿先の上保さん方を出たきり、おじさんの家にも 行かずに姿を消し、十日朝死体となって見つかったもので、 こえまでの二ヶ月間近くの捜査でも二日間の知子さんの足取りは 全くつかめていない。

解剖結果からは胃の中から松タケや野菜類が発見され、両足には数箇所 の抵抗きずがアザのようになって出ていた。 二日間のナゾだけが事件解明のキメ手として残されている。
新井刑事部長の話

非常に難しい事件だ。 捜査を進めたが現在までに三月八、九日の被害者の目撃者が現れないのが 残念だ。被害者と交友関係のあったなかで、いろいろ調べたい人が あり、いずれもまだ参考人の段階だ。 交友関係も、とくに深い人がいるので話をききたいと思っている。

全く関係ない

修道院側の話

この事件とはまったく関係のないことがはっきりしているので、何も いうことはありません。 八日も九日も調布の学校へみなでいっており、神父さんも一しょでした。

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1959/5月7日■

外人神父出頭せず


東京高井戸署のスチュワーデス殺し事件の 捜査本部は、去る五日からベルギー人ルイス・パーマシュ神父 (三八)に重要参考人として任意同行を求めていたが、六日も 同神父は出頭しなかった。

同日朝は「高井戸署に出頭する」との態度を示していたが、 午前九時ごろになり電話で「気分がすぐれないので行かれない」 とことわってきたもの。

同本部ではさらに引続いて出頭を求めるといっている。

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1959/5月12日■

神父から事情きく


スチュワーデス殺し事件
今日も出頭求む

東京高井戸署の英国海外航空スチュワーデス武川知子さん(二七) 殺し事件の捜査本部は十一日、ドン・ボスコ修道院のベルギー人 ルイス・パーマシュ神父(三八)の任意出頭を求め、重要参考人 としていろいろの事情を聞いた。

本部は同神父と知子さんとの間柄、事件との関連性などについて の説明を求め、同夜遅くまでその裏付捜査を行なったが、 依然解明されぬ点もあるとして、十二日引続き同神父に出頭を 求めることになった。

この日出頭要求に応じた同神父は、午前七時ごろ捜査本部の 指定した場所に弁護士に付添われて姿を見せた。 同神父は知子さんと交際のあった人物の一人で、本部では 参考取調べのためさる五日第一回の出頭を求めた。 ところが神父はこれに応じなかった。

十一日は、知子さんが姿を消した三月八日午後三時ごろから 死体発見の十日早朝までの間について事情を聞いたが、 神父は八、九両日とも都下調布市のサレジオ神学校の儀式へ 出席していたと主張、生前の知子さんと交際のあったことだけ は認めたという。

本部は、この日は神父が説明するのを聞いているだけで午後 五時、事情聴取を終ったが、この調べで神父が事件のあった 八日直前に知子さんへ手紙を出した事実が明らかにされた。
十二日はこれらの内容などを中心にさらにくわしい話をきく ことになった。


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1959/5月24日■

入院したベルメルシュ神父


当局の調べ持越し
教会側と微妙な空気

英国海外航空(BOAC)のスチュワーデス武川知子さん(二七) が殺された事件の重要参考人として、東京・高井戸捜査本部 から五回にわたって事情をきかれ「渦中の人」となった 杉並区八成町九○ドン・ボスコ修道院内ベルギー人ルイ・ベルメルシュ 神父(三八)は二十二日、過労による衰弱がはげしく、新宿区下落合の 聖母病院に入院した。 しかし、捜査本部は同神父が事件に関係があったかどうかについては まだ断定せず「調べは完全に終っていない」といっているので 両者の間にはいま微妙な空気がただよっている。
ベルメルシュ神父が捜査本部に出頭したのはさる十一、十二、十三、 二十、二十一日の五回。 「参考人としての意見をきく」というのが本部の公式の発表だったが 述べ四十時間にわたる調べの内容はきわめて厳密なアリバイ調査、 同神父の生活のすみずみ、ドン・ボスコ修道院の内部事情から出版社 経営の収支事情にまで、連日刑事が訪れ、アリバイ調査の証言に 応じたものは調布サレジオ神学校の神学生約四十人をはじめ、百人 近くにのぼったという。

「明るい庶民的な神父さん」とか「茶目っ気のある人」とか評判 されていた同神父もすっかりやつれ「これ以上放っておけば 精神科の病院に入れなければ・・・・」と仲間の神父が心配する ほどになった。

この二ヶ月来、持病の胃弱が悪化し、食欲不振を訴え、目方が 十キロも減ってしまったという。

二十二日、入院する直前、べ神父は修道院の仲間に「この事件が 明らかになるまで、私は疑いをせおって二ヶ月でも 三ヶ月でも、じっとこらえていかなければならない。 しかししれが天主さまのみ摂理であるならば、私は待つ」 ともらしたという。

実をいうと、ベルメルシュ神父の名が捜査本部の話題になった のは、事件発生の直後だった。 だから同神父の周辺についての調べは七十余日、ひそかに続けられて きたのだ。

疑われていることを知った同神父は四月上旬、調布サレジオ神学校の 神父に「宣教のため骨をうめようと思ってやってきた大好きな日本の国で こんな目にあうとは・・・・」といって笑い、 武川さんの勤めていたオデリヤ・ホームのレーマン院長 (べ神父と院長とは古い知り合い)に「私にだって間違いはある。 しかし人を殺すようなひどいことを、どうしてできますか」 と訴えたそうだ。

一方カソリック教会側は五月一日号の「東星ニュース」 (カソリック系のニュース通信)に、教皇庁行使の名で 「うわされているベルギー人神父は、八日も九日も他の神父と行動を 共にしていたことがわかったので、事件とは無関係である」 という声明を出したほかは、沈黙を守っている。

ただ関係者の話をまとめると、武川さんが行方不明になった 八日午後三時前後から、死体が発見された十日朝までの、 べ神父の警察へ申し立てた行動は次のようなものである。 なお同神父は行き帰りにはすべて、修道院の小型乗用車 ルノーを使っていた。

◇八日 ⇒正午から午後二時、ドン・ボスコ修道院のある下井草教会 で新しい神父を祝う叙品式を追えて昼食⇒午後二時すぎ祝電を 打つため荻窪電報局へ⇒午後三時ごろ、祝賀のため、神父二人と 調布サレジオ神学校へ⇒午後三時から六時半ごろまで、調布で 祝賀会⇒午後七時すぎ同僚の神父二人とドン・ボスコ修道院へ帰る。 夕食⇒午後八時すぎ、翌九日に新神父に渡す事になっていたバイブル・ ケースを取りに四谷のドン・ボスコ出版社へ。 このときも他の神父が二人同行した⇒午後九時すぎ修道院に帰り、雑談 ⇒午後十時過ぎ就寝。

◇九日 ⇒午前五時ごろ起床⇒午前六時半ごろ八日に続く 祝典のため調布の神学校へ。 同僚の神父ら二人と調布のノートルダム修道院へ行きミサ。 朝食⇒午前八時半ごろ神学校へ帰る⇒午前十時から十一時半ごろ まで荘厳ミサ⇒正午から午後二時半ごろまで昼食 ⇒午後三時半ごろ調布電報局へ他の神父一人と行き、同僚の神父 就任の祝電を打つ⇒午後三時半すぎから神学校で観劇 「偶像の最後」を見る。劇が終ってから、雨のため近所に住む 子供連れのロシア婦人を車で送る⇒午後六時半頃、再び神学校へ 帰り、聖体幸福式の司会をする。夕食。 ⇒午後八時過ぎ、他の神父二人と修道院へ帰る ⇒午後八時四十五分すぎ新宿西落合のガソリン・スタンドで給油 ⇒午後九時半ごろ修道院へ帰り雑談ののち就寝。

◇十日 ⇒午前五時ごろ起床⇒午前六時ごろミサ⇒午前六時半ごろ 他の神父一人と友愛会修道院へ。

捜査本部はこれに対して、証言の多くが教会関係者に 限られていること、観劇したという事実などにまだあいまいな 点のあること、夜、修道院内に確実に寝たかどうか、などの 点に疑問をもち、さらに調べている。

しかし、教会関係者たちの話によると、同神父の寝室には ついたてをへだてた隣に不眠症の老修道士が寝ているので、 もし夜中に神父が起き出せばすぐ目をさますし、どこかへ出かける 車の音がわからないはずはない。また観劇中の同神父の姿を みなかったものがいる、と本部ではいうが、神父は一番前に 同僚の神父と共にすわっていたので目撃者が少なかったのだろう、 と主張している。

教会関係者以外の人の証言では、荻窪、調布の両電報局に同神父が 直筆で書いた電文の原文があること、西落合のガソリン・スタンド ではっきりした目撃のあることが証明された。 「潔白を信ずる」という教会関係者たちは、国際的な信用にかかわる 重要な問題だけに、神経をとがらせているので、捜査本部としても 早急に解決しなければならぬ立場にあるようだ


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1959/5月26日■

駐日ローマ法王庁行使
ベルメルシュ神父に代わり答える


”彼の潔白断言する”

求められればまた出頭

英国海外航空(BOAC)のスチュワーデス、武川知子さん(二七) が殺された事件についての参考人として、東京・高井戸捜査本部 から事情をきかれているドン・ボスコ修道院ルイ・ベルメルシュ神父 に対して、朝日新聞社はさる二十三日、駐日ローマ法王庁行使館の ド・フルステンベルグ行使を通じて事件に関する神父の感想を 求める質問書を出した。 同行使は二十五日「べ神父に代わって、自分の責任において、 彼の潔白を断言する。入院して診察を受けた結果、衰弱以外に特別な 病気はないとわかったので、また出頭を求められれば応ずる用意が ある」と、三千字以上の長文の回答を寄せて来た。 その要旨は次のようなものである。

1、べ神父への質問は当人に伝えなかった。 捜査本部の取調べが終わる前に本人が何かを声明することは当局へ のエチケットに反するし、人権擁護の点から当局が取調べの秘密を 守っていることを知っているから、そう判断したのである。

しかし、べ神父に代わって、自分の責任において、殺人の件と、 彼に向けられた女性関係への非難については、はっきり潔白を 断言することができる。

1、武川知子さんがロンドンから送った二通の手紙に、べ神父が 簡単な返事を書いたのも修道院長の許可のもとに行なわれた。 三月上旬武川さんの願いに応じて会い、その後彼女に頼まれて 地図を速達で送ったのも、院長に許可されたことで、地図以外には、 何も同封されてなかった。 司祭の仕事の中には理解しがたいように思える場合が起こり得るが、 個人的な身の上相談の相手になるのも必要なのである。 キリストでさえ多くのつまずきの対象となったこともある。

1、べ神父のアリバイについては、先日の朝日新聞の記事に 付け加えることはない。 武川さんが三月八日の午後から九日いっぱい行方不明だったのに、 べ神父は、ずっと多くの人たちと共にいたのである。

1、べ神父は自分の名誉をきずつけるうわさに驚き痛めつけられた。 さらい五日間にわたる取調べで衰弱し、入院したが、特別の病気では ないとわかったので、また出頭を求められれば、応ずる用意が できている。

              ◇

回答の中で「べ神父が武川さんと会ったり、手紙を出したりした」 という点は、関係者の話をまとめると、次のようなものである。
べ神父はカソリック信者の武川さんにとっては、贖罪司祭だった。 だから個人的な悩みを打ち明けた手紙がロンドンからべ神父あてに よせられ、それに対する回答をしたのだという。 問題になった「切手を必要以上にはった手紙」というのは、 ハトロン封筒に新聞を入れて送るとき、武川さんを喜ばせるため、 日本の珍しい記念切手をはろう、とドン・ボスコ出版社の人たち がいい出し、千円近くの切手をはったもので、一度だけだった、 という。

またべ神父が武川さんと会ったのは三月五日で、このとき、 武川さんはべ神父へのロンドンみやげの手ぶくろを、神父へ 手渡した。 べ神父は「空を飛ぶ仕事は危険な仕事だし、誘惑も多いだろう から、注意しなさい」という意味のことをいったそうだ。

その後乗用車ルノーで武川さんの下宿近くの京王明大前駅付近 まで送ったところ、車が故障、東京日野ルノー会社に連絡して 修理してもらった。 そのさい、武川さんから「英語で書かれた東京の地図がほしい」 と頼まれたので、武川さんの下宿を中心とした都内の略図を書き 速達で送ったという。 武川さんにとって、その地図がなぜ必要だったのかはわからない が、彼女の所持品の中からは発見されなかった。

本部ではこの地図が武川さんが殺される直前の三月七日にとどいて いるので、事件に関係があるのではないかとみてさらに調べている。
[注]ローマ法王庁行使=世界各国のカソリック布教の総元締 ローマ法王庁のあるバチカン市国から派遣された外交官で、 相手国の王、皇室や政府との交際などを行なう。 日本のカソリック布教では最高の地位をしめ、各国の大、行使同様に 治外法権が認められている。

日本では信者が少ない関係で行使となっている。 なお信者はローマ法王庁を教皇庁ともいっている。 行使は主に外交面、布教活動には土井大司教があたっている。
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山口氏 大司教に
日本で二人目

[長崎] カソリック長崎司教山口愛次郎氏(六五)は二十五日 バチカン法王庁から大司教に任命された。 カソリックの大司教は東京大司教土井辰雄氏についで 日本では二人目。現在国内のカソリック教会は東京大司教 に統括されているが、山口氏の任命で東京、長崎の両大司教 に分割される。


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1959/6月12日■

ベルメルシュ神父が帰国

スチュワーデス殺し重要参考人
警視庁はショック
捜査に壁
ゆうべ密かに

英国海外航空(BOAC)のスチュワーデス武川知子さん(二七) が殺された事件の重要参考人として注目されていた ベルギー人神父ルイ・ベルメルシュ氏(三八)が 昨十一日午後七時半羽田発のフランス航空機で突然帰国した。 空港ではルイ・ベルメルシュの本名を名乗り、神父三人ほどが 見送ったというが、この帰国は警視庁には、事前に連絡は なかったという。 これで難航をきわめたスチュワーデス殺し事件は、 捜査本部が”最後のカギ”をにぎる参考人といっていた 同神父の帰国で、事実上大きな壁に直面した形となった。

警視庁では十二日正午から新井刑事部長が記者会見を行い、 捜査側の見解を発表した。 宗門にも大きな波紋を投げたこの事件は、今後”欠席捜査” の形で行なわれる。 ドン・ボスコ修道院側では、サレジオ会管区長 ヨハネ・ダルクマン師の名前で十二日、各新聞社に対し 「持病の胃病が悪化したので、休養のため・・・」という 声明文を送った。

修道院の処置にも不満

スチュワーデス殺し事件の重要参考人として、 事件の捜査線上に残った”最後の一人”といわれた ベルメルシュ神父が十一日夜ひそかに帰国したことについて、 警視庁捜査当局ははげしい驚きと教会側のやり方に強い不満 の色を示している。

事件直後からべ神父を捜査線上に浮ばせて綿密な内偵を進めて いた捜査当局は、先月八日べ神父に第一回の出頭を求め 「事件解決のため最も必要な人物」として事情を聴取、 以後二十一日までに五回出頭を求め、かなり突っ込んだ取調べ が行なわれた。

これに対しべ神父は、いつも弁護士をはじめ関係者二、三人に 付添われて現れ「日本語は話せるが、日本の字は十分読めない」 といい、高井戸捜査本部員の質問に対して一語一語辞書を引き 日本語の意味を確かめてから答えるという慎重な態度だった という。

このような取調べの結果、捜査当局は「べ神父の供述は、すべて 真実ばかりとは認められない。被害者との関係などは事実と そうとうくい違う点がある」として、弁護士を通じ 「こんごも引き続き出頭してもうことがある」と通告していた という。

捜査当局がこんご引続きべ神父ついて調べようとしているのは 「1カソリックの教義にのっとり厳しい教理を保っていたと 主張しているが被害者の武川さんとべ神父との関係は必ずしも 主張通りとは認め難い点がある。 2修道院内の自室に入ってからのアリバイについて客観的な 第三者の証言を得なければならない。 3このような点から被害者知子さんが姿を消していた三月八日 午後から十日早朝に至るまでのべ神父のアリバイは完全なもの とはみられない」などの点である。

捜査当局は、出国した後もべ神父の調べは続けてゆくといって いり、まず東京のサレジオ会管区長やべ神父が所属していた ドン・ボスコ修道院関係者にべ神父を突然帰国させた真意に ついてかなり強く聞きたださなければならないとしており、 一時入院していたべ神父の病状がその後たいしたことはないと 伝えられていながら、その病状を理由に帰国させたことは 割切れないものがあるという考え方をしている。

さらに同修道院がさる四月はじめにべ神父を、それまでの地位 から外し、後任者まで決めていたことを突きとめ、今回の出国が 事件後間もないところから計画されていたのではないかとの 疑いさえ示している。

今後の調べでも、三月八日と九日の両日、べ神父と武川知子さん がどこかで行動を共にしていたという事実の発見が手掛かりと なることを期待している。 こんごICPO(国際刑事警察機構)を通じて、べ神父について 必要なことは調べてもらうという方針であるが、結果的には 余り効果が期待されていない。

出国拒否の権限なし

法務省入国管理局の話

旅券が無効であるなどの場合をのぞいて、外国人の出国を拒否する 権限は入管にはない。 逮捕令状などが出されている場合などには出国を拒めるが、これは 捜査当局がやるべき仕事だ。

ベルメルシュ神父については警視庁から正式な手配をうけたことは ない。しかし十一日夜羽田の事務所からその事実を警視庁へ 連絡したことは事実で、その記録も残っている。 入管としては全然落度がないと信じている。

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帰国についての本社あてメッセージ
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当サレジオ会神父ベルメルシュ師は 当局に対し、お話すべきことはすべてお話しましたが 事情聴取が長期にわたりましたので、持病の胃病が悪化し、 疲労もはなはだしいので、一時ベルギーで休養させることとし、 六月十一日帰国のため羽田を出発しました。

サレジオ会日本管区長ヨハネ・ダルクマン(原文は英文、 教会側の日本訳)

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修道院長の説明
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病状が悪化のため
誤解を恐れていた本人

ドン・ボスコ修道院のデルコール院長はベルメルシュ神父の 帰国事情を次のように説明した。

◇ベルメルシュ神父は先月二十一日、五回目の事情聴取が 終ってから衰弱がはげしいので、下落合の聖母病院に四日間 入院し、その後、都内の教会で静養していたが、一週間前 ドン・ボスコ出版社の仕事を始めた。 しかし、相変わらず神経衰弱が治まらず、一ヶ所にじっとしている こともできない状態だった。 持病の胃病も悪化したので、管区長が「取調べが済んで三週間もたつの に何の連絡もないから、調べは大体終ったと思う。 今のうちに治療しなければ危険だ」といって二、三日前、一時的に 親元に帰ることをすすめ出した。

◇本人は「警察の方からシロだと断定されぬうちに出発したら 逃げたようにいわれるかもしれない。それがいやだ」と気にしていたが 本人の健康の方が大切なので帰国と決めた。

管区長がローマ法王庁行使に連絡、さらにベルギー大使にも連絡を とって承諾を得て、管区長として帰国命令を出した。 べ神父がひどい神経衰弱になったのは、長時間の取調べというだけで なく、かなり容疑者扱いのきつい取調べをされたかららしい。

警察は現在もときどき修道院に来て、知子さんの殺人事件と あまり関係があると思われないドン・ボスコ出版社の会計上の ことなどを聞いている。

◇神父の健康状態がよくなればまた日本に帰ってくるはずだ。 本人は、誤解を招くことを非常に心配していたが、自分のいうべき ことは全部警察側に伝えたのだし、そのほかにいうべきことはない。

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新井刑事部長談
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今後も捜査は続ける
高井戸署には出国後連絡

警視庁新井刑事部長は次のように語った。 突然のことに驚いている。 べ神父は現在も事件解決のため最も必要で、最も重要な 人物であることには変わりない。

これまで五回の任意取調べでも、もっと突っ込んでべ神父から 聞かなければならない点が多く出てきている。 捜査本部としてはこんごも続けて出頭してもらうことははっきり 通知してあった。 出国後も捜査は続けるが、べ神父について直接容疑者として 強制捜査するというような材料は現在のところ何も出ていないの が実情だ。

高井戸署にはべ神父が出国した直後の十一日夜、法務省入国管理局側 から連絡があったし、けさ(十二日)私の耳にも入った。 しかし、捜査当面の責任者である私のところに教会側からまだ正式の 通知もないのは納得しかねることだ。


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